ヲタ卒への日々…。

ジャニヲタ卒業に至るまでを記録します。

私にとって、少クラとは。




今は少し忙しいので、生活が落ち着いたら、グッズやDVDを手放していこうと考えた。1ページの中で一か所しか自担が写っていないTV誌を買い漁ったのも良い思い出の一つである。

そんな雑誌たちにも、笑顔で別れを告げることができる自分が容易に想像できた。

写真も、「売る時期を見計らう。」という理由の名の下に、何枚かを手元に残しつつ、手放していくことができると思う。(たぶん。)
あ、でも自担の初公式写真はとっておく…。だってかわいいんだもん。

CDは比較的、簡単に手放せる。音源は持っているし、そもそも元担GのCD本体に未練なんてない。

うちわも売れる。だってJr.担だから自担のなんてないもん。

DVDはどうだろう。自担が映っているものしか持っていない。どれかを残そうと思っても、選べない。そのときそのときで、自担の出来具合いも違うし、その作品に対する私の思い入れも全て違う。全て違うベクトルだから、「どれか一つ。」なんてできない。映る瞬間が多いのはもちろん鑑賞するかいがあるし、少ないのも、それはそれで、これまた楽しい。

でも、今、この記事を書いているうちに、頭の中で少し選別できたから、よしとしよう。


DVDはDVDでも、自分で編集したものがある。録画し、ディスクに入れた少クラたちだ。これは手放せない。数年前の少クラをたまに観たときの感慨深さといったらもう、言葉には言い表せない。




さて、ここからが本題。

「この子とこの子ってこの頃から一緒だよね。」

「この時は違う色の衣装を着て、関わりもなかったこの子とあの子が、今では同じグループになるなんて、誰も思わなかったよね。」

「この時のあなたたちには、まだ見えないだろうけど、数年後に、あなたたちはデビューするんだよ。」

「ああ、この子辞めちゃったよね。隣の子は今、第一線で活躍してるけど。」

と、いろんな感情が溢れ出てくる。

どんなに学校がきつくても、1週間に1日だけの曜日を目標に生き抜くことができた。どんなに部活で疲れてても、録画機器の関係で「リアタイでないと画質が落ちちゃう。」と唱えながら、ダッシュで帰宅した。

次第に、友だち(非ヲタなのに)も、「あっ、今日、少クラだもんね。」と言って、一緒にダッシュで帰ってくれるようになった。本当にありがとう。

そう。少クラは、私の青春に欠かせない存在だった。ジャニヲタだから、とか、そういう意味じゃなくて、私が精一杯の情熱を注ぎ込んだ証として、手元に残しておきたい。

コンサートDVDの話と若干かぶるが、出番が多かれ少なかれ、全ての回が良い思い出である。

親との冷戦中に、殺伐とした空気の中で観た少クラ。

テスト前だけど、カウントダウン的には明日が1週間前だからセーフだよね、と自分でも誰に対してびくびくしているのかわからないまま、謎の背徳感とともに観た少クラ。

兄弟が怒られている横で、音量を小さくして観た少クラ。

家族での食事中に、曲紹介でセクシーな曲を言われ、嬉しさが顔から滲み出てしまうが、そんな時に限って家族の話が途切れてしまい、お茶の間にHairが響き渡った、あの時の少クラ。

やっぱり毎回毎回、違う顔をみせて楽しませてくれるきみたちには、感謝するばかりだ。






もっと言えば、実は、他に観たいと思うテレビ番組がない。バラエティを観ても、おもしろいと思うことがない。すぐに早送りをしたくなってしまう。そういえば、少クラにはCMがない。だから、観たい曲が後半になることもあるが、CMをまたいでひっぱることもないし、退屈しない。

何なんだろう。観終わった後に、満腹感のようなものが残る。私は、少クラが終わり、CMになった瞬間にテレビを消す。
「ああ、今日も観終わった。」と思う。
「来週も楽しみだな。」とか、「あと3週間で次だな。今月ももう後半戦か。」と考える。

何十人もの若い男の子たちのエネルギーを1時間たっぷり観ることができる。そんな番組、世界で一つしかないのでは?と思う。


私が消そうと思う瞬間に、父親が、「はい、終わりー。」と言ったことがあった。私は、その一言がひどく気に入らなかった。他人に区切りをつけられるのが嫌で嫌でしょうがなかった。そういうときは、少クラをリピって、「自分で終わるから、何も言わないで!!!」と言って、自分で終わりを決めた。

自分で終わりを決めて離れるのが1番楽である。開始時刻ぴったりから、次の番組の少し前まで、たっぷり放送してくれる日本放送協会様、大好きです!!!!!‼︎


これからも、全国、いや、世界中のファンの皆様にパワーを届けてください。












というわけで、ヲタ卒しても、少クラは観続けると思う。



ビビッとくる子が現れないことを信じて…。