先輩を見る。
ほとんどの場合、ある世界には先人がいる。自分が第一人者だという証明は非常に難しいし、その先端を走り続けるのも非常に大変だ。
でも、だからこそ、他人の背中を見ることができるのは、とても良いことだと思う。
だがしかし、ふとした瞬間に、先輩を「同じ世界を楽しむ私は、他の世界の人から、こういう目で見られているのかもしれない。」という目で見てしまう。
我に戻る瞬間である。
そういう目で先輩を見ると、失礼かもしれないが、「私もこう見られてるのかー。あちゃー。」となる。
その先輩(Aさんとする。)は、元某運動部である。Aさんの直接の後輩ではないが、中学時代は私も同じ某運動部だった。
高校生になって私はその運動部には入らなかったが、県内屈指の強豪校だったため、その部活に属する方々は廊下を楽しそうに歩いていた。
彼女たちは、部活と同じテンションのまま廊下でお話されるので、嫌でもその声が聞こえてくる。私は彼女たちの発声が苦手だった。
「私は、○○だと思うよー。」を、
彼女たちは、
「atsiはぁ、○○だとおmoaよー。」
みたいな雰囲気で話す。
伝わりますかね?(笑)
それがとても苦手だった。本当に。
Aさんが元某運動部で、ジャニヲタということは前から知っていたが、ある日Aさんが彼女の担当Gについて、まさに前述の口調で語っている声が聞こえたのだ。
「あちゃーーーーーーー。」
「こりゃいかん。私もこう思われとるんかいな。」
と思ってしまった。
ということがあり、ジャニヲタを辞めたくなった。
ジャニヲタを辞めるというか、自分から情報を追うのをやめる。
これだけで随分違う。
情報を追わないでいると、いつの間にかその状況に慣れている自分がいる。
世界中の誰よりも1番に情報を知りたいと奮闘していた自分がバカみたいに思えてくる。
情報を知らなかったことが原因で自担を見れなくても、それはそれで運命であり、その時の私には必要なかったんだと思えば気がすむことだと気付いた。